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溝口健二と甲斐庄楠音、もしくは「奇跡の日常」。
『雨月物語』 溝口健二監督 1953年 大映

銀座の並木座だったか、それとも大井武蔵野館だったか、どちらで見たかはどうしても思い出せないのですが、いずれにしても、いまはもうなくなってしまった邦画専門の名画座(少なくとも90年代の東京には、まだそんな場所が普通にあったのです)で『残菊物語』を見て以来ですから、溝口の映画を見るのはずいぶん久しぶりということになります。

溝口といえば、名キャメラマン宮川一夫によるクレーン撮影のワンシーン・ワンカットが有名で、ゴダールが来日したときに「影響を受けた監督を三人あげてください」というインタビュアーの質問に対して「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたという(まあ、これは日本に対するリップサービスもかなりあったでしょうが)伝説的なエピソードも知らないわけではないし、大好きなエリック・ロメールやビクトル・エリセも手ばなしで賛辞を呈している(『ミツバチのささやき』を撮る十年前の1963年、当時兵役についていたエリセはマドリッドで開かれた映画祭ではじめて溝口の作品を見たときの感動について、「人生を凌駕する、人生を越える映画が存在する」と語っている)にもかかわらず、個人的には、溝口はなんとなく苦手で小津や成瀬のように心からのめりこめないという印象を長いこと抱いていたのは、数多くの溝口作品に主演女優として登場する田中絹代という女優があまり好きではないということもあるのですが、なんといっても、中学校の映画鑑賞会で体育館の固い床に座らされて半分居眠りをしながらはじめて見た(というか見せられた)『雨月物語』がことのほか退屈で、なんとなく重苦しい映画だったというイメージが刷り込まれていたせいなのかもしれません。

もちろん、田舎のイガグリ頭の中坊に『雨月物語』の面白さをわかれというのはどだい無理な相談で、その後、大学時代の名画座通いで溝口の作品も一応ひと通り見て、若き日の山田五十鈴が主演した『祇園の姉妹』の素晴らしさや、若尾文子や京マチ子が娼婦役で登場する『赤線地帯』の面白さには心底驚き、中学校の体育館で洗礼を受けた溝口映画に対する苦々しい印象は一変することになったのですが、それでも相変わらず『雨月物語』だけはどうしても再見したいという気持ちにはなれず、映画好きの友人と溝口の映画について話をするときは、京マチ子にしてもさ、『雨月物語』のお姫様よりも『赤線地帯』のミッキー(結婚して吉原を出ていく娼婦仲間に「あんまりサービスするんじゃないよ、お里が知れるからさ!」と蓮っ葉なはなむけの言葉を投げる)のほうがスタイルもいいし、演技もいきいきしていて(もっとも『雨月物語』の若狭は幽霊なので、いきいきした演技などありえないのですが……)ダンゼン魅力的だね、『雨月物語』の京マチ子は着ぶくれしちゃって、動きだってなんだかのっそりしてデブに見える(!)などと生意気にもうそぶいていたものでした。

すっかり前置きが長くなってしまいましたが、じつに何十年ぶりに『雨月物語』を見ることになったのは、溝口作品をはじめ数多くの映画の衣裳考証を担当し、『雨月物語』ではアカデミー賞の衣裳デザイン賞にノミネートされた、日本画家でもある甲斐庄楠音の初の画集『ロマンチック・エロチスト』(求龍堂)がつい最近出版されたので、この機会に着物と甲斐庄楠音という視点から溝口の映画をもう一度見直してみたいと思ったからなのです。

甲斐庄楠音の描くただキレイなだけではない、なんというか恐ろしいくらいの凄みを感じさせ、一度見たら忘れられない強烈な印象を与える(岸田劉生が言うところの「デロリ」の美をたたえた)女性像は、久世光彦の『怖い絵』のなかでもクノップスの「愛撫」やビアズレーの「サロメ」などと一緒に紹介されていて、最近では(私は未読なのですが)岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』の表紙になったり、NHKの「日曜美術館」でも特集されたので目にされた方も多いと思いますが、楠木正成の末裔(!)として明治二十七年に京都の旧旗本の家に生まれた甲斐庄楠音は、「妻妾同居をさせる『お大名の殿様』ぶりの」父親と御所に出入りする家柄の母親のもとで育ち、幼少の頃は色白で美しかった楠音を溺愛した父親の趣味で「女の子の着物を着せられ、家に伝わる皇女和宮の羽子板を愛で、雛人形遊びなどを」好み、長じてからも「素人歌舞伎で演じる女形の女装に限りない喜びを感じていた」という、まあ、かなり特異な生い立ちで、「自らの女装姿を写真に撮」って自分自身をモデルにして女性像を描くという「独特の制作スタイル」を生みだし、大正七年に京都画壇で「鮮烈なデビュー」を果たすも、八年後に出品した「風船と女」という作品が土田麦僊に「穢い絵」と酷評されて陳列を拒否されるという事件が起こり、その後は徐々に画壇から離れ、四十六歳のときに溝口健二と出会って映画界に入ったという、当時としてはかなり異色な経歴の持ち主です。

孫引きになって恐縮ですが、甲斐庄楠音の評伝『女人讃歌』(栗田勇著・新潮社)に引用されている、『ある映画監督―溝口健二と日本映画』で新藤兼人が行ったインタビューのなかで楠音は、「とにかく溝さんはね、君が着つけをするとそこらじゅうが、品がよくなるって、そういうてくれたわな」と語っています。じつは、遅ればせながら私が甲斐庄楠音のことを知ったのはつい去年のことで、偶然にも結月さんからこのウェブマガジンのお話をいただいたのもちょうど同じ時期だったので、私のなかでは勝手に甲斐庄楠音と結月さんがなんとなく重なり(といっても、実際は着物と映画という二点のみなのですが)、甲斐庄楠音についてはいつかこのコラムでぜひとも書きたいと思っていたのでした。

そして、甲斐庄楠音についてあれこれ調べている過程で、溝口の内弟子をしていた宮嶋八蔵氏(彼を溝口に紹介したのは他ならぬ甲斐庄楠音だった!)の「日本映画四方山話」(http://tsune.air-nifty.com/miyajima/)という素晴らしいサイトに出会い、大変貴重な資料を多数拝見することができました。このサイトの「溝口作品『雨月物語』で、私、内弟子助監督がした仕事」(http://tsune.air-nifty.com/miyajima/2007/06/post_2613.html)というページには、びっしりと書き込みがされた当時の台本や製作メモなどとともに撮影の記録が克明に記されているのですが、森雅之の背中に魔除けとして書かれた梵字を恐ろしい形相で見つめる京マチ子と毛利菊枝のスチール写真に添えられた文章のなかで宮嶋氏は、この梵字を書いたのは甲斐庄楠音で、宮嶋氏の提案によって文字の上に雲母粒を塗ったということを明かしています。森雅之の裸の背中できらきら光る甲斐庄楠音の筆による梵字……! アカデミー賞にノミネートされた衣裳はもちろんですが、これはもう、絶対にこの目でたしかめなければなりません。

そんなわけで急いで近所のツタヤに走り、二度目の『雨月物語』を鑑賞することにあいなったわけでありますが、いまになってあらためて見直すと、中学生のときにはまったくわからなかったこと(たとえば、源十郎の義弟の小沢栄と水戸光子の夫婦は原作では登場せず、じつは脚本の依田義賢がモーパッサンの『勲章』という短編から想を得た創作だったということや、「のっそり」と感じた京マチ子の動きは能を模していたこと等々……)にも気がつくこともできましたし、森雅之と京マチ子が一緒に入る岩風呂から芒が原へとそのままつながる夢幻的な場面は尾形光琳の「紅梅白梅図屏風」をもとに構想されたもので、「この屏風は男女の睦み合った姿を秘めて」いるということも宮嶋氏のサイトで教えられて、なるほど、そうだったのか! とおおいに感心して、こういうことが理解できるようになるのだから、歳をとるということも(もの忘れは激しくなる一方ですが)まんざらでもないかもしれないと思い、そういう意味においても『雨月物語』はやはり傑作なのだと実感したのですが、しかし、肝心の森雅之の背中の梵字は液晶テレビに映しだされるDVDの画面ではただの墨色にしか見えず、結月さんとの対談で上田キャメラマンがおっしゃった「ビデオやDVDでは映画を見たとは言えないよ」という言葉を思い出し、三年前の溝口没後五十年の特集上映を見逃したことがいまさらながらとても悔やまれます。

溝口の死後、ふたたび創作活動をはじめた甲斐庄楠音は八十二歳のとき、昭和五十一年に三越で開かれた回顧展のレセプションのあいさつで「乞われる儘に映画界に這入り長い間巨匠の方々に大切にしてもらいました。竜宮へ行った浦島の様に美しい男女とともに出来たから長生きしたのです」と語りました。才能溢れる監督はもちろん、たしかな腕を持ったスタッフたちによって傑作が次々と生みだされた1950年代の日本映画界を「奇跡の日常」と表現したのは蓮實重彦でしたが、甲斐庄楠音のような人物を「先生」と呼んで尊び大切にしたということからも、昔の日本の映画界がいかに豊かであったかということがわかりますし、まさに溝口の映画のように、雅な宮廷から猥雑な色街まで、あるいは東大出の助監督(増村保造)から女装の絵描きまで、清濁併せ呑む寛容さと自由さこそが映画のよさであり、また醍醐味でもあるのです。

それにしても、なんとか映画祭や何周年記念上映といった特別なイベントではなく、もっと普通に、たとえば近所のレンタルショップに入るくらいの気軽さで、思い立ったときにふらっと劇場に行って溝口をはじめとした昔の優れた日本映画を見たいと思うのですが、もしもいまの東京の街でそんな事態が実現したとしたら、それこそ「奇跡の日常」ということになってしまうのかもしれません。

(網倉俊旨)

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