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前回に引き続き、今回は後編をお届けいたします。
黒澤明の絵コンテ
結月 『乱』(1985)ではワダエミさんが衣装をおやりになっていますね。最初の三兄弟が登場するシーンで、長男(寺尾聡)は黄色、次男(根津甚八)は桃色、三男(隆大介)は水色というふうに、衣装の色分けをしていますけど、あの衣装は黒澤さんが色を指定されたんですか。
上田 そう。黒澤さんの絵コンテを見ればわかるけど、着物の柄から何から全部描いてある。
結月 それをもとにワダエミさんが作った。
上田 だから、ほとんど絵コンテの通りだよね。狂阿弥(ピーター)なんかの衣装の柄も全部自分で描いて、その通りに作らせた。
結月 じゃあ、ピーターが着ていたトンボの柄なんかも。
上田 全部描いてある。黒澤さんは自分の使いたい役者の顔で絵コンテ描くわけ。だから、『影武者』(1980)の絵コンテを見ると、みんな勝新太郎の顔だよ。で、『乱』の時は、本当は高倉健さんが出るはずだったんだよ。
結月 誰の役で出る予定だったんですか?
上田 敵将の親分の井川(比佐志)さん。あの役は本当は高倉健を想定していたんです。だから、絵コンテを見ると、みんな健さんの顔ですよ。だけど、結果的には出なくてよかったね。高倉健が出てたら、まず喧嘩になってたでしょうね。健さんは飲まない人でしょう。黒澤組では飲まないと絶対につきあえないから(笑)。
『乱』の城炎上シーンでのハプニング
上田 『乱』の時は、城が燃えるシーンがあったでしょう。
結月 狂った秀虎(仲代達矢)が煙の中から出てくるところですね。
上田 ぶわっと城の中から。あれは俺が撮ってるんだけど、じつは失敗してるんですよ。なぜかというと、最初のアップがない。
結月 誰も狙っていなかったんですか?
上田 いや、俺が狙ってたの。ずっと回しっぱなしで。でも、1分間くらいずっと煙だからね。後ろでは、「仲代君、もういいから出てこい」ってやってたらしいんだけど、なかなか出てこないんだよ。一番よく燃えた時に出ようと思ったんだって、仲代さんは。
結月 死んじゃうじゃないですか!?
上田 だから、むこうも大変だったらしいよ。あの時はカメラを7台出して、城のフルショットとか、兵隊ナメとか、入り口のフルショットとか、全部やってるわけ。俺は寄りで城の入り口のところを撮ってたんだけど、黒澤さんが来て、「上ちゃん、もっと大きく撮ってくれよ」って。でも、これ以上寄ったら、煙だけで何もわからない。
結月 望遠で撮っていらしたんですか?
上田
1200ミリ。最初は600くらいで、ゆるめに構えていたんだけど。で、しょうがないなあと思いながら撮ってたら、仲代さんは違うところから出てきた。慌ててパッとカメラを回したんだけど、煙の前に立ってるところからしか撮れていないんです。本当は黒澤さんは、仲代さんが煙の中から出てくるアップが欲しかったんだよね。でも、その時はさすがに何も言わなかった。だって、どう考えても無理だったんだから。
 もう、煙には何度も泣かされて(笑)。『影武者』の時も大変だったよ。影武者が死んで、壷を落とす湖のシーンがあったでしょう。あの時は琵琶湖でやったんだけど、船で壷を落としにいくわけです。あれは3台のカメラで撮ってて、斎藤さんのマスターショットはロングで撮ってる。岸からは煙があがってて、もう1台は煙ぎりぎりくらいに入ってくる。で、俺は湖の上で船から撮ってた。他の2台は引きで撮ってるから、どこから出てきてもいいわけ。でも、俺は船からで、ずっと煙の中だから、どこから出てくるのかわからない。とにかく、ずっと回してたんだけど、煙だけなんだよ。で、「カット!」って聞こえて、あれ、煙しか撮ってないけどいいのかなと思ったんだけど、後でラッシュを見たら、案の定、俺が撮ったやつは煙しか映ってない。でも、さすが黒澤明だね。それを見て、なんて言ったと思う?
「いやあ、上ちゃん、凄いよ。これは前衛的なカットだね」だって。
結月 さすが。今の監督とは余裕が違いますね。
上田 黒澤組の撮影では、そういうことがいっぱいあった。だけど、そういう無理な注文があった時は、こっちも一生懸命になる。今の日本映画には、「これは無理だけどやってみよう」っていうやつもいない。そういう世界はなくなりましたね。
黒澤映画の色彩美学
結月 以前、上田さんにお会いした時に、「黒澤明の映画というのは色彩作品なんだ」とおっしゃった。モノクロのフィルムでも色彩を表現していると。
上田 それはね、白黒の映画を撮るのでも、色的な衣装合わせをしているんです。芸者だったらこうだろうとか、全部色で合わせてる。だから、昔の黒澤の白黒の映画を見ると、これはこういう色だなあってわかるでしょう。『椿三十郎』(1962)だったら、赤い椿。実際は白黒だから赤には映っていないんだけど、見てる連中は赤い色を感じてた。
結月 あの椿の赤は決定的ですね。
上田 あの時は、黒澤明が「とにかく、椿を赤く見せろ」って。そのテストを2ヶ月もかけてやったんだよ。
結月 フィルターかなにかを使ったんですか。
上田 そうじゃなくて、椿をいろんな色に染めて。それこそ、赤い椿にしたり、黒い椿にしたり、紫にしてみたり。ありとあらゆる色を試した。それで、黒澤さんに何度見せても、「これは赤くないね」って。赤いわけないよね、白黒なんだから(笑)。そんなことを延々2ヶ月もやって、最後に「ああ、これは赤く見えるね」と。もう、自分だけの感覚の問題だよね。でも、それでいいんだよ、映画っていうのは。監督が赤いと言ったら、それが正解なんだから。
 色といえば、この間、久しぶりに『乱』を見ていて、あらためて凄いなあと思ったんだけど、合戦の場面でむこうが赤でこっちは青でというふうに、ひと目で敵と味方がわかるようにしてる。映画でああいうことをやったのは、たぶん黒澤さんが最初じゃないかな。あの人のそういう色彩的感覚は凄かったね。しかも、お客が見てわかりやすい。
結月 『椿三十郎』の血なんかもそうですね。
上田 そうそう。「ホントにあんな出るもんなんですか?」って聞いたら、「いや、ちゃんと斬れば出るんだよ」って、言い訳みたいに言ってたけど(笑)。映画の面白さということを本当に考えた人でしたね、黒澤さんというのは。
『生きものの記録』が黒澤の原点
結月 黒澤監督は亡くなる直前に『八月の狂詩曲』(1991)を撮っていますね。たぶん、黒澤明という人は、原爆が嫌でたまらなかったと思うんです。わたくしも原爆が死ぬほど大嫌いですが、理論云々以前の問題で、生理的にあんなものは許せない。人類にあっちゃいけない。
上田 『八月の狂詩曲』は原爆の話だから、アメリカでは上映してないんですよ。今は世の中的にはペイしない映画はやれないってことになってるし、それをやったら負けだよね。でも、黒澤明はそれをやった。『八月の狂詩曲』もそうだけど、そういう黒澤さんの原点はどこにあると思う?
結月 『生きものの記録』(1955)ですか?
上田 そう。あれが原点だよね。俺は誰に聞かれても、黒澤明の一番いい映画は『生きもの記録』だと答える。なぜかというと、主張してるから。たしかに他の映画でも主張はしてるけど、やっぱりどこかお客にいい顔して作ってるでしょう。だけど、『生きものの記録』は100パーセント黒澤さんの主張になってる。
結月 直球勝負ですね。原水爆に対する。それこそキャパみたいな感じで、純粋に許せないという。
上田 それから、『生きものの記録』の凄いところは、三船(敏郎)さんを老け役で使ってるところだよ。
結月 当時、三船敏郎はまだ30代ですね。
上田 普通に考えたら、あれの主役は志村喬だよね。だけど、志村さんじゃなくて三船さんをもってきた。ちょっと気がおかしいんじゃないかと思ったけど、そういう演出の凄さ。ああいうことは黒澤さんにしかできない。
結月 『生きものの記録』にしても、『八月の狂詩曲』にしても、メッセージはもの凄くストレートですよね。でも、それが今はなかなか伝わらないような世の中になっているような気がするんです。
上田 たしかに、ああいうのは今も昔も当たらないね。だけど、黒澤さんの偉いところは、当たらないとわかっていても、ちゃんと作ったということ。これは本当に必要なことだと思う。儲からないけど、絶対に見せなきゃいけない映画ってあるんだよ。
本当は日活に行きたかった
結月 以前、上田さんは洋画では『第三の男』(1949)、邦画では『赤い殺意』(1964)が一番好きだとおっしゃった。『第三の男』はわかるんです。だって、あれは映画としてパーフェクトでしょう。だけど、黒澤さんのカメラをおやりになっていた上田さんが、今村昌平の『赤い殺意』が一番だとおっしゃったので、ちょっと不思議に思っていたんです。もちろん、『赤い殺意』はわたくしも大好きですけど。
上田 あれは凄い映画だよ。今村昌平も凄いけど、姫田(眞佐久)さんのカメラが最高だった。トンネルの中で春川ますみが毒を飲ませようとするシーンがあるでしょう。トンネルの中から外をパッと見せた時に、向こうに雪がバーッと舞ってる。凄いよねえ。オールロケだよ。姫田さんのカメラは本当に凄い。あの時代の日本映画には、姫田さんみたいに評論家はあまり褒めないけど凄い人がいっぱいいるんですよ。
 俺はじつは日活に行きたかったんです。本当は日活が一番面白かった。どう考えても、成瀬さんっていうタイプじゃないんだから(笑)。久松(静児)さんの『警察日記』(1955)が本当に良かった。森繁が巡査役で、二木てるみのデビュー作。これも姫田さんがカメラだけど、今見ても泣けるもんね。あの時代の久松さんは本当にいいの。久松と森繁のコンビで東宝で撮った『地の涯に生きるもの』(1960)は見たことある?
結月 いえ。
上田 ダメだねえ(笑)。これは知床が舞台の映画でね、原作が戸川幸夫の『オホーツク老人』。森繁さんの『知床旅情』はこの時に作った歌ですよ。その撮影で知床に1ヶ月いたんだけど、あの時は面白かったよ。毎日イルカを撮ったり、カラスを撮ったり、そんなことばっかりやってた。昔は凄いよね。木があって、そこにカラスが止まるのをカメラを構えてずっと待ってるんだよ。でも、そう簡単に止まるわけがない。しょうがないからって、カラスをとっ捕まえてきて、釘で打って止めて、それを撮った。
結月 それは面白いはずですね。
上田 芸術的だったよ。まあ、気が狂ってるとも言うけど。そんなこと、今はとてもできないよね。
今の映画には遊びがない
結月 今の人は脚本を書くにしても、お利口さんが多いですね。
上田 映画で遊ぶということができない。たとえば、予算が1億あるとしたら、ヤマ場だけにお金をかけて、あとは遊ぶんです。これができないんだよ、今のやつは。俺なんかは遊ぶのが得意だから。『博士の愛した数式』(2006)でもそうだけど、ワンカットだけクレーンを使うんです。それ以外は使わない。他の連中はせっかくクレーンを使うんだからって、いろんなクレーンカットを撮るんだよ。それは人情だと思うけど、絶対使っちゃいけない。ここぞというところで使ったら、それ以外は使わないというのが俺のやり方なんです。
結月 そういう見せ場のあるシーンを書ける脚本家もいなければ、それを実現する職人もいない。それが今のテレビだとか映画だと思うんです。
上田 どこに金を使うのがわからない。そのへんがダメですね、今の若い連中は。応用が効かない。映画学校でもよく言ったのは、喋ってるから顔を撮るんじゃないと。
結月 そうそう、言われました。
上田 それは脚だっていいわけだ。脚を撮っても喋ってるように撮ることはできるんだから。でも、顔を撮らないといけないと思ってる連中ばっかりで。今のテレビなんて、みんなそうでしょう。とにかく、勉強が足りない。この間も、とにかくいろんな本を読めって言ったんだよ。本を読んで、こういう絵にしたいということを考えろって。俺は古いから、そういうことばっかり言ってるんだよね。
着物が動きにくいなんて言わせない!
結月 わたくしはこうやって着物を着て、着付けも教えてるんですけど、今の着付けってタオルとかいろんなものを詰めるんですね。もちろん、動きにくいんですけど。昔は普段は何も入れなかったんです。それなのに、NHKの『篤姫』なんかを見ると、まるで着ぐるみでしょう。
上田 だいたい、あれは中身が悪いよね(笑)。
結月 本当にそう。でも、大人気らしいですよ。
上田 そうなの。俺は全然見たいと思わないけど。
結月 今の女性の方と話すと、詰め物をする着物が当たり前になってしまっていて、着物は動きにくいと言うんですね。
上田 そんなことはない。着物のほうが楽だよね。なぜかというと、洋服と違って自分の体に合わせられるから。
結月 締め加減ひとつで変わりますからね。
上田 そう。俺は家では普段から着物を着てるんだけど、着やすいんだよね。やっぱり、楽だもん。今の連中はそれがわからないんだろうね。
結月 私が大好きな淡島千景が出ている『丹下左膳』(1952)で、可愛がってる子供が人質になって、丹下左膳が丸腰で行くわけですよ。その後を淡島千景が刀を持って、もの凄いスピードで着物で走るんです。あのシーンを見たら、着物が動きにくいなんて絶対に言わせないですよ。
男と女のお話
結月 わたしね、こうやって着物を着て女みたいにしているでしょう。性自認が男ではないので性同一性障害ということになるんでしょうが、完全に女でいいかといえばそうでもないんですよ。やはり、職人的な美的な部分というのは、女は作りだせないと思うんです。男のほうがずっと繊細でしょう。成瀬巳喜男にしても、こんな女がいたらいいだろうなというところで作っていたと思うんです。黒澤さんはそこまではやってないと思うんですけど。
上田 黒澤さんは、だって、女を知らないもん。いや、子供がいるから知ってるんだけどさ(笑)。本質的な女はわかってないよ。
結月 成瀬さんはとってもハンサムで、色気があったと思うんです。
上田 なかなかの人でしたよ。俺も一生懸命見てたけど。
結月 黒澤さんはそういう色気はないでしょう。
上田 ないね(笑)。あの人はそういうのは面倒くさい人だから。
結月 でも、いろんな人が黒澤さんは女を描けないって言うんですけど、たとえば、『赤ひげ』(1965)の香川京子なんかは凄いじゃないですか。男を羽交い締めにして、首にかんざしを突き立てるような。あれが女の本性というか、凄く怖いところだと思うんです。
上田 あれは怖いね。おちおち寝てられないよ(笑)。
結月 何度も言いますけど、わたくしは淡島千景を敬愛していて、特に森繁さんとやった『夫婦善哉』の蝶子の役が大好きなんですね。
上田 あれは最高だね。やりたいだろう、あの役を。
結月 もちろん、やりたいですよ。
上田 こう、膝枕でさ、「ちょっと法善寺に行きまひょか」なんて言われたらさ。
結月 もう、死んでもいいですよ(笑)。
上田 涙が出るよね。あれが最高なんだよ、男なんていうのは。それがわかってないやつがいっぱいいるわけだよ。男は女に頼っちゃいけないという精神があって、女も男に頼らない。それじゃあ、バッテンの世界だから上手くいきっこないよね。どっちかがやわらかくなってさ、膝枕でふわっとやらなきゃダメなんだよ。
結月 もう、どうしましょう(笑)。私もお酒には相当自信があったんですが、今夜はもうノックアウト寸前です。ぜひ、近いうちに第2回戦をお願いしないと。
上田 俺はこれからでもいいよ(笑)。
上田正治 Shoji Ueda
1938年1月1日、千葉県生まれ。
56年に東宝入社。撮影助手を経て71年に技師昇格。83年からフリー。
黒澤明監督の『影武者』(80)、『乱』(85)、『夢』(90)、『八月の狂詩曲』(91)、『まあだだよ』(93)で撮影を担当。日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞した『雨あがる』(00)、『阿弥陀堂だより』(02)、『博士の愛した数式』(06)、『明日への遺言』(08)と、黒澤明監督に師事した小泉堯史監督作の撮影はすべて手がけている。他に松本正志監督作『狼の紋章』(73)、福田純監督作『エスパイ』(74)、小谷参靖監督作『F2グランプリ』(84)、恩地日出夫監督作『生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件』(85)、太田圭監督作『ほんの5g』(88)、恩地日出夫監督作『蕨野行』(03)、新城卓監督作『俺は、君のためにこそ死ににいく』(07)などがある。
イギリスアカデミー賞撮影賞、日本アカデミー賞最優秀撮影賞、毎日映画コンクール撮影賞、Asian Perspective Award(バンコク国際映画祭)、シラキュース インターナショナル・フィルム・フェスティバル撮影賞など受賞歴多数。
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結月美妃の今月の“おハナシ!”
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