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vol.3 キモノ・ルネサンス(2009/1月号)

「あけおめー!」
ではなく、
「新年明けましておめでとうございます」

なんでもかんでも短縮するのは現代の幼稚化現象で、「明けましておめでとう」を短縮せねばならないほどわたしたちの人生は短くございません。ご安心下さいませ。

と、まあ、新年早々、わたしは厭味ばかり言ってつくづく自分の性格の悪さに辟易する次第でございますが、ともかく結美堂とこの「キモノ天国」と、そして何より性格の悪いこのわたくしを何卒今年一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、新年でございますので、わたくしの一年の計を一言で申し上げますと、

 「キモノ・ルネサンス」

というキーワードになるでしょうか。ルネサンスとは14世紀末から16世紀頃にヨーロッパで起った芸術復興を意味する言葉ですが、厳格なキリスト教会支配の中世から、古代ギリシャやローマの人間性溢れる古典文化を復興しようとして始まったものでございます。

中世の人物画をご覧になるとわかりますが、描かれた人物には表情がなく、まるで出来の悪い蝋人形のようにニコリとも笑わず人間味を感じさせるものではございません。これは厳しいキリスト教会支配の中で人間味を露わにした絵など神の前で描けるはずもない状況であったからで、そんな状況を打破しようとルネサンスは興ったわけでございます。

古代ギリシャやローマの彫刻では生き生きとした人間が表現され、こうした古典文化にあるいわばヒューマニズムを取り戻すことでルネサンスという人類史上でも超特大の芸術運動が歴史年表に燦然たる輝きを放つことになったわけです。

【中世絵画からルネサンス絵画への推移】


ところでルネサンスで活躍した芸術家はそれはもう人類が誇るオールスターと言ってもよろしい。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッチチェッリ、ラファエロ、ティツィアーノ、ミケランジェロなどなど、堂々たるメンバーがずらりと並び、人間味溢れる絵画や彫刻が盛んに作られました。
 まさにルネサンスのコンセプトは「人間解放」に他ならず、個人を縛り付けていた厳しいキリスト教からの内的脱却といっていい。

ここでわたくしが言う「キモノ・ルネサンス」とは、まさに今の着物に対する一般的とされる考え方から「解放」されなければならないという意味です。

今の着物はいかに閉鎖的な先入観で知らずのうちにがんじがらめにされているか!? 着物は日常生活の舞台から引退宣告をされて久しく、日本女性といっても着物を自分で着られないことがスタンダードになり、それどころか着物そのものがスペシャルなものとなり着物を着ているほうが驚かれるという事態です。
 着物は1200年以上もかけて日本で日本人が作り上げて、着こなしてきた衣装なのに、それを着ると「えっ!着物ですか!?」なんて言われることは冷静に考えればおかしなことです。

着物というものが特権化され、「日本の伝統」という特別な扱いをされるようになり、着物を着るのであればお茶をやらなくちゃいけないだとか、興味もない歌舞伎を無理して観劇したり、お行儀よく背筋を伸ばして正座しなくちゃいけないだとか、着付け教室の先生が言うように帯締めは真っ直ぐで、おはしょりもピッチリ、お太鼓が少しでも斜めになると怒られそうでヒヤヒヤしたり、衿元が開いただけで「あ~失敗しちゃった…」などと落胆したり、まあ着物とは何と堅苦しいものにされてしまったのでしょう。

昔は糠漬けのきゅうりやなすびを切るのにも着物だったし、洗濯するのも着物、赤ん坊をあやすのも着物、お風呂を沸かすのも着物、はたまた男に口説かれ危うく脱がされそうになるのも着物…などなど、日常のあらゆることが着物で行われておりました。
 なのに、着物はTPOが大切などと言われ、なんだか難しいものに仕立てられてしまいました。

確かに着物には日常で着るものから小紋、訪問着、留袖などがあり、染めの着物には織の帯がいいだとか、季節によって袷になったり単衣になったり、夏場は絽の着物だとかいろいろございます。
 しかし、冷静に考えてみれば、洋服でも結婚式やフォーマルなパーティにはジーンズははいていかないし、真夏にウール生地の服は着ない。土日のお買い物にはカジュアルな服を着るが、仕事で営業先に行くときはスーツを着る。

つまり、着物に限らずわたしたちは普段からその場に合った服を使い分けているわけで、とりわけ着物のTPOが特別というわけではございません。ただ、着物を着たことがないから知らないだけでございます。

着物が「日本の伝統」という位置づけをされてしまい、堅苦しいフォーマルなものだけになり、着物を着るのにあまりにも気合を入れすぎなければならない状況ですが、実は伝統と言っているわりに、今の着物に対する考え方、着方はつい最近作られたものでございます。

着物離れが進み、普段着としての着物という販売基盤を失った呉服屋は着物をフォーマルなものとして宣伝し、粗利の大きい訪問着や振袖といったものにシフト転換しました。
 もちろん訪問着や振袖など普段着るものではございませんから、当然ながらTPOというのは発生します。そしてそのTPOを売りにして高額商品を販売するのでございます。いわば今で言うセレブ気分に乗じたものと言えましょう。

それに加えて、着物を自分で着ることができないわけですから、着付けを教える必要がある。そこで着物学院が呉服屋と結託して乱立することになりました。

着物学院では一応授業料を取る学校として運営しなければなりませんから、着物のTPOを教えたり、お茶会をしてみたり、歌舞伎を観劇したりといったことになるわけです。だって、授業料を取って着物姿で糠漬けを切ったり、男に言い寄られて乱れた着物を直す方法など学校では教えられるわけはないのですから、金を取るのであればどうしても日常経験できないフォーマルなものになるに決まっています。

そんなこんなでいつの間にか、着物というと特別なものにしか使えない衣服になってしまい、着方なんて実はそれほど難しくないにもかかわらず、難しく演出しないと着物学院では金が取れないのだから、看板制度などなんだか仰々しいものを持ち出したりして着付け講師はどんどんうるさくなり、挙句の果てはしわひとつ入っただけで「いけないわよ! しわが入ってるじゃないの!」と怒られ、ちょっとおくみ線がずれただけで「ずれてるわよ!」と叱咤され、お太鼓が少しばかり斜めになっただけで「あのね、芸者じゃないのよ、芸者じゃ!」と芸者を卑しいものと蔑み、ようやく幾何学的直線ですべてが仕上がった段階で「はい。きれいに着れました!」なんて言われるのですから馬鹿馬鹿しいったらない。しわひとつが恐くては着物でトイレにも行けません。

まあ着付けを仕事にしてそれで食べていく人であればそうした厳しい「特訓」も必要でしょうが、普通に着るのであれば、何度か着ているうちに着慣れてしまいます。

つまり、今皆様が感じておられる「日本の伝統」としての着物はせいぜいここ2、30年ほどの間に呉服屋と着物学院が作り上げたものと言ってよろしく、伝統というわりにはあまりにも歴史がない。いや、そもそもそれは伝統ではない。

考えてみれば、着物を「着る」ことは伝統にはなり得ないものです。確かに京友禅や西陣織など、作る現場には長年受け継がれた伝統というものがある。しかし、それを「着る」こと自体が伝統なんかになるわけがございません。なぜならば、着物を着ることは生活そのものであり、時代によってその着こなしは変わるからでございます。伝統とは容易に変わらないものを言うのですから。「100年の伝統の味を守り続ける○○屋の梅干」だとかいうように。

着物の形状ひとつとっても今でこそ伝統的だと言われますが、室町時代と江戸時代の着物は形も図案も着方も異なるわけです。そして今でこそやかましいTPOのひとつとして言われる訪問着ですが、あんなものは江戸時代にはなく、大正時代くらいに洋装のイブニングドレスと言いますか、ビジティングドレスという意味合いで着物バージョンとして生み出されたもので、さらに今では柄が入る場所も概ね決まっていますが、江戸や明治の着物を見てもそんなルールは見当たりません。

このように今、わたしたちが伝統と考えている着物は時代に合わせて著しく変貌してきたのでありまして、実は伝統と思っていたものはそれほど歴史があるものでないことがわかります。

食べ物に例を挙げると大変わかりやすいのですが、今、日本の伝統食というとわたしたちは懐石料理や寿司などを思い浮かべます。しかし、銀座で有名な懐石料理店やお寿司屋さんで出てくるような料理が、江戸時代のひとが食べていたかというとおそらくそうではない。無論、それとなる根っこはあるかもしれませんが、時間の流れと共に変貌し今の形になったと言えます。だって、ちょっと昔ではお寿司屋さんにフランスのワインが置いてあったらギョッとしていたでしょう? 

また、肉じゃがやカレーライスは日本の国民的料理ですが、その圧倒的支持率のわりには日本の伝統料理とは言い難い。その理由はおそらく、肉じゃがはともかく、カレーライスにはあまりにもバリエーションがあり、またその歴史がまだ浅いからでございまして、どうやら伝統という名の称号を得るにはおおよそ100年くらいの時間を要するらしい。

しかし、わたくしは100年なんてちっとも長いとは思いません。今でもニュースでバブル経済のことが語られたりしますが、そんなバブルだってすでに20年は経っています。この20年で日本人のライフスタイルが本質的な点で劇的に変わったかというとそうでもありません。
 もっと言えば、64年前に広島と長崎に原爆が落とされましたが、人類は64年間変わることなく核という怪物に忠実に振り回されています。
 また、明治時代に鹿鳴館というものがございましたが、日本人が西洋に憧れてドレスを着た様子は、海外ブランドショップに群がる現代日本人と本質的に何ら変わりありません。

さて着物に話を戻すと、着物が伝統的と思われるのはおそらく、今の着物の形状が明治時代から換算しても100年間はとりあえずあまり変わらずに来たからでございましょう。
 また、着物は外国人には決して真似されることはなく、日本人しか着ないという極めてドメスティックな衣服であり続けたところがその理由かと思われます。
 そういう意味ではやはり、着物は日本の伝統文化と言えるかもしれませんが、そのTPOや着方となるとどう考えても伝統の称号を得るにはふさわしくない。

いや、そもそもわたしたちのライフワークというものは日々少しずつ変貌しているのだから、それに直接的に関わる衣服というものがその変貌を拒絶することはできない。なのに、今、一般の日本女性はあまりにも着物に対して固定的イメージに洗脳されすぎていて、着物というものが変貌を拒絶する頑固なものだと思っています。
 それゆえに、普段はバリバリ仕事をこなす現代的な女性でさえも、着付けを習うとなるとひげを抜いた猫のようになるのです。

伝統と思われている着付けや着物に対するイメージは、実はつい最近呉服屋や着物学院によって生み出されたものだとお話しました。
 例えば補正タオルを入れまくって、硬い帯板をはさみ、ロボットのようにがっちりゴテゴテにするような着方は昔のひとはしておりませんでした。もっと自然に普通に、いい意味でテキトーに着ていました。むしろ伝統というなら補正タオルや帯板なんて使わないほうが時間的スパンは長い。

そして昔の人は今以上に着物で炊事洗濯から仕事までアクティヴに動いていたわけで、そこには紛れもなく生活に密着した人間らしい着物ライフがありました。
 しかし、今の着付けはどう考えても、生活を拒否したもので、あんな着付けでは食事も大変だし、一日着ているだけで疲れるのは当たり前です。だから、着物を脱いだ後、「あ~苦しかった!」なんて言うひとが多いわけです。それに何よりも肉体的健康に害を及ぼしそうです。

【参考資料:竹久夢二の絵より大正時代の着こなし】

 

ですから、わたくしが目指す「キモノ・ルネサンス」は、昔の日本人が着こなしていた自然な着付けを思い出して、生活感のある人間らしい着物ライフで生活に艶を出そうというものでございます。
 もちろん、これは毎日着物で過ごすことを強要するものではなく、着物を上手に生活に少しでも取り入れられれば、現代の生活習慣の中でも日本女性としての美しさを存分に発揮できると思うのでございます。

そのために着物に対する間違ったイメージから皆さんを「解放」し、もっと自由に、美しく、楽に着物を着られるようにすることがわたくしの仕事でございます。ルネサンスの芸術家たちが堅苦しい中世の雰囲気を打ち破ったように!

今一度はっきり申し上げますが、皆さんが抱いている着物のイメージは伝統とはなんら関係のない呉服屋と着物学院の都合が作り上げたもので、本来着物というものは日本女性である皆さんにとってもっと優しいものでございます。

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