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~霊性が宿る着物 横山大観と上村松園~

さて。

画家・横尾忠則の『死の向こうへ』(光文社知恵の森文庫)に三島由紀夫との交流の記述がございまして、三島由紀夫が言葉には大変厳しく、いいかげんな言葉づかいや言葉に対する軽視を許さなかったということが書かれております。

さらに抜粋すると、「日本は古来より、言葉に霊が宿っていて、その霊が幸いや災いをもたらすという信仰があった。言葉は霊的な世界と密接に結びつき、そのことで人々に大きな影響を与える。そのことを、古代の日本人は常識として知っていた。(中略)言葉の選び方、言葉の発し方、言葉の使い方によって想念が宿り、その波動が人間関係や社会・文化、ひいては日本全体にも大きな影響を与えることをぼくは完全に無視してしまっていた。言葉はすべて言霊によってつくり出されたもので、それは単なる記号ではなくて、深遠な霊性と関係のあることを知っておられた三島さんは、自分がこうした意味で、正しい日本語を使う最後の人間ではないかと悩んでおられた。急速に日本語からは霊性が失われて、深みのない、のっぺりとした無個性な記号になっていくのを憂えていた」。

これは言葉に霊性が宿っているという記述でございますが、わたしはこれを読んで着物にも霊性が宿っていると思ったわけでございます。いえ、霊性が宿っていた、というべきでしょうか。

江戸から明治、大正、そして昭和初期までの一連の着物の資料を辿ってみると、そこには何か霊的なものを感じます。そして、終戦後から高度経済成長期のものとなると一気にその感覚は薄れ、現在の着物に至っては全くと言っていいほど霊的なものは感じさせない。

ある歴史学者の話では、広島と長崎に投下された原子爆弾を境に長らく支配してきた封建社会を母体とする近代国民国家が崩壊し、つまり人類が原爆をもったことが歴史的な分岐点といえるそうであるが、これは真に的を得ていて、原爆は同時に人間の霊性というものまで焼き尽くしてしまったように思われます。

「霊性」ということを説明するには極めて難しく、科学的、もしくは合理的解釈が崇拝されている現代では、それを説明しようとすればするほどまがい物扱いされ、思いも寄らぬバッシングを受けることになりますが、日本人というのは本来精神性の高い民族であり、特に自然から得る霊性には大変敏感な民族なのでございます。

それゆえそういった霊性を金目当てにしたいかがわしい商売や宗教、さらに占いなどが流行ったりして困ったことになるのでございますが、昔の日本人は霊性に常に気を遣いながら生きておりました。

ところで、そもそも着物というものはその図案にしても色彩にしても風水が如実に取り入れられ、吉祥文様などは風水をベースにして出来上がっているといってよろしい。

また着物は右から左へ前身頃を重ねて着るものですが、これは邪気を祓うもので着物を着ることによって不吉なものから身を守っているのでございます。そのため、その文様や色彩にはそれぞれに意味が込められ、つまりは霊性が着物に注入されておりました。

いわゆる古典柄というものは、とりわけ自然描写を絵にしたものがほとんどですが、この「自然」というもの自体が実は霊性を司るものなのでございます。

まず日本には美しい四季があり、12ヶ月の間に少しずつ変わり行く自然の変化の中でわたしたちは生きてきました。春には桜が咲き、そのうち梅雨が訪れ紫陽花が咲く。そして夏がやってくると盛んに虫たちが飛び回り、夏が終わる頃に月夜が次第に気にかかるようになり、涼しげな秋草に心地よさを感じながら紅葉を迎える。もみじが紅く染まり、銀杏が黄色くなりつつ、風に飛ばされ木々は丸裸になると、寒い冬が雪を降らし、真っ白な雪の中に春の予感を感じさせる新芽をどこかに見つける。

このように日本人はそうした自然を敏感に肌で感じながら、そこに霊性を感じ、それを着物の柄や色彩に落とし込んできました。その上で、季節や様々な行事に合う着物を巧みに使い分けてきたのでございます。

それは西洋的価値観にあるような合理主義に基づく目的性で行った風習ではなく、極めて感覚的で、不文律で、空気的な、もっと言えば非合理的な“思い”を肌で感じ取って結果的に文化にしてきたものでございます。

それゆえ少なくとも昭和初期の着物を見ると、そうした自然から得られる霊性、つまり大いなる自然の中で生きる人間の美意識が表現されており、人間はどうあっても自然を超越してはいない自然への敬意が、そして自然の中に人間が含有されているという“感覚”が昔の着物にあるのでございます。

ところが戦後の着物を見ると、確かに古典柄を踏襲しているのにかかわらず、どこかそれが自然の中で生きる人間の描写というより、単なる自然の写実という絵となり、言ってみれば自然から得られる霊性がなくなってきます。

原子爆弾自体が人類だけでなく、この地球という人間が生き得る自然的空間そのものを破壊できる発明なわけでございまして、原爆とまで言わなくとも人間は自然を切り拓き、桜の木を切り、原生林を丸坊主にし、河にはダムを建設し、魚を乱獲すれば養殖で確保し、おまけに人間のクローンまで作ろうとしています。

これは人間による完全な自然征服であり、自然を失った都市生活が主流となった人間は同時に自然からの霊性を完全に失ってしまいました。

霊性を失った時代の着物は次第に今で言う“グラフィックデザイン化”していきました。柄そのものは古典柄であっても、そこに霊性の濃度は昭和初期までのものと比べ低いものです。それは作り手そのものが霊性と共に生きていない環境にあるからで、作り方そのものは江戸時代と変わらぬものであったとしても、それは形骸化したものに他ならず、自然の中で絶えず花が咲き、動物たちと身近に暮らし、火を薪でおこし、夜は暗く、月光を頼りにして夜道を歩いていた人間とは全く異なるものなのでございます。

そして幸いにも長崎以来原子爆弾はひとの上に使用されてはおりませんが、コンピューターという霊性が宿りようのない道具に人間が支配されることとなり、言葉は記号化し、挨拶はメールとなりました。パソコンモニターの中に霊性が入り込む余地はありません。

こうした状況の中で日本人の生活自体が霊性を感じることのできなくなったわけでございまして、三島由紀夫が危惧した霊性のない日本語がこの日本を支配するようになり、街を歩けば「えぇ~ マジィ~! ッテカ、ソレッテ、スンゲェ、ムカツクんだけどー!」だとか、「もうオマエ、ウザいから、死ネバ?」だとか、「それってナニゲにチョ~カワイイ! ゲットだよね、ソッコー!」といった言葉が当たり前になってしまいました。

これは衣服についても言えることで、マシンメイドの大量生産の服などには霊性は宿ることはなく、つまり今の日本人のほとんどは霊性のない無味乾燥なものを身にまとって生活しているわけです。

着物が右から左へ前身頃を重ねることにより邪気を防ぐことは述べましたが、いくら着物の形をしているとはいっても、昨今に見られるインクジェットプリントの着物や振袖には邪気を祓う霊性はなく、その色彩も風水に適っておりません。

上村松園の吹雪美人図をご覧頂いても、冬の吹雪の中に真っ赤な長襦袢が見えます。大正期の美人画など見ても赤い長襦袢はよく使われており、下着に赤を使うことが珍しくありませんでした。
 方位学的に悪いところに行くときは赤いものを身にまとうという考えもありますが、赤いものを身につけると血行がよくなることは科学的にも証明されています。

本来、着物というものにはその文様にも意味があり、概ね幸せを祈願した文様が多く、そして自然美を取り入れることにより自然と人間をつなぐ霊性を着物に込めて参りました。横尾忠則の言葉を借りれば、「想念が宿り、その波動が人間関係や社会・文化、ひいては日本全体にも大きな影響を与えること」になるわけで、理由を特定することが困難な通り魔事件や、我が子を虐待する母親や、ネット上でのおぞましい誹謗中傷や、陰湿ないじめなどなどの社会問題は日本人が霊性を失ったところに端を発しているともいえるわけでございまして、簡単に言えば、わたしたち人間がデジタル化し、しかし感情や肉体など物理的にデジタル化し得ないところにジレンマが発生し、それが摩擦することによって悲惨な事件が起こるとも言えます。

霊性を失った現代日本人が、昔の着物を見て「霊性」を感じ取ることそのものが不可能なくらい、わたしたちの感性は退化しているかもしれません。 しかし、これから咲くであろう梅の花がふとした瞬間に咲いているのを発見したときの心の揺らぎと、大都会の花屋で人工的発色をされて切り売りされている花を見たときの心のそれとは明らかに違うことはわかるはずです。

最後に霊性を感じさせる日本画をご紹介致しましょう。横山大観の作品でございます。「自然」「人間」「着物」が三位一体となって霊性で結ばれていることを感じ取って頂ければと思います。

(文・結月)

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結月美妃の今月の“おハナシ!”
vol.3 キモノ・ルネサンス
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上田正治×結月美妃 -後編-