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百合と湿疹と水蜜桃。
『ツィゴイネルワイゼン』 鈴木清順監督 1980年 シネマ・プラセット

微かに紫がかった深い桃色の百合の花(はなびらの中心は白く暈かし、細く伸びる蕊は微かに青緑がかった白から淡いクリームイエローのグラデーション)が差し色に紫を配して大胆に描かれた鮮やかな夏の着物に、光沢のある絹糸で前と後ろに一輪ずつ睡蓮の花が刺繍された沈んだ翡翠色の帯を結び、ゴブラン織りのソファーに腰掛けた教授夫人の大楠道代(髪型は左右の長さが微妙に違うアシンメトリーのボブ)は、腐りかけた水蜜桃をまるごとつかんでむさぼるように齧りつき、花の匂いや果物の熟した香りは禁物だったはずじゃないかと訝る夫(藤田敏八)に、それが急に平気になっちゃって、身体が変わったのかしらと微かな笑みを浮かべてつぶやき、甘ったるい水蜜桃の果汁がしたたり落ちてべとべとになった指先で柔らかい桃色の薄い果皮をつまみあげて陽にかざし、うっとりと目を閉じてあおのいた表情で真っ赤な口紅を塗った濡れた唇から赤紫色の舌をだして、まるで光と蜜のしずくで透明に輝くびっしりと密生した微細な産毛の一本一本を愛撫するように小刻みに舌を揺らしながらゆっくりと舐めまわす。

内田百閒の『サラサーテの盤』などの短編をもとに、原作の持つトーンとはだいぶイメージの異なる、まさに「清順美学」とでも言うべき極彩色に染めあげた鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』のなかでも、大楠道代が身にまとう着物の美しさと官能的な魅力がきわだって印象的なこの場面は、もちろん、公開当時にもずいぶんと話題になった、原田芳雄の目に入ったゴミを大楠道代が舌で舐めとるという有名なシーンと重なるわけですが、山梨の田舎町から予備校に通うために上京してすぐの頃に、予備校の授業をサボって高田馬場の早稲田松竹ではじめてこの映画を見た時は、このなんともエロティックな「眼球舐め」(!)のシーンのあまりの鮮烈さとモガスタイルの大楠道代の圧倒的な格好よさばかりに目を奪われて気がつかなったのですが、今回、着物に注目しながら久しぶりにこの映画を再見してあらためて驚いたのは、ひとり二役で原田芳雄の妻と田舎芸者を演じる大谷直子の着物姿の、とくに後ろ姿を映したシーンのゾクッとするような美しさでした。

放浪の旅先で原田芳雄が死んだ後、夫の親友だった藤田敏八の家の玄関先に夕暮れ時(逢魔が時)に黒の紋付の羽織姿であらわれ、後ろを振り向いて「中砂がお貸しいたしまた本を……」と消えいるような声でつぶやく姿は、菱川師宣の「見返り美人図」と円山応挙の幽霊画のイメージを重ねあわせたような鳥肌がたつほどの美しさですし、芸者役の時に原田芳雄と泊まる旅先の宿で、「おいっ」と寝台から酒のグラスを持って声をかける原田芳雄に背中を向けてソファから立ちあがり、ストールを外してカーテンを閉め、羽織りを脱いでするすると帯を解き、立ったままの姿勢で中腰になって足袋を脱ぎ、髪から簪を抜きとってテーブルに投げ、巾着袋から白い手拭いをとりだしてそれを持って寝台にむかって歩き、そこでカメラはパンして寝台の上の裸の原田芳雄の上半身と帯を解いた着物姿の大谷直子の背中をとらえ、手に持った手拭いをすっと枕の下に差しこみ、腰紐をほどいて着物を脱いで長襦袢姿になり、微かな衣擦れの音をたてて掛け布団の端をもちあげ、原田芳雄に背中を向けたまま素早く寝台にもぐりこむという一連の動作を、大谷直子は無言のまま表情ひとつ変えずに演じるのですが、芯の強さと情の深さを秘めたその凛とした仕草の内側から滲みでるような独特の色っぽさ(しっとりと濡れているのに不思議とどこかカラッと乾いている)は、なんといっても必見です。

この場面で大谷直子が身につけている長襦袢には小さな梅の花の模様が描かれているのですが、この後に続くシークエンスは、庭の梅の木の花粉で全身に湿疹ができた大楠道代が着物の胸元をひろげて掻きながら「胸が苦しいの」と言って、藤田敏八に梅の花を摘み取らせる場面で、この一見、何のつながりもないふたつのシーンを「梅の花」という隠された共通のモチーフで結びつけるという、なんとも粋で遊び心にみちた演出には、さすが清順監督、伊達に日本橋の呉服屋の息子じゃない!と、思わず拍手を送りたくなったのですが、たとえ、これが監督のまったく意図しない単なる偶然であったとしても、このような偶然をスクリーンに残してしまうことこそ映画監督の才能にほかならないのだと、断言することができるでしょう。

この映画は公開から二十年後の2000年に「DEEP SEIJUN」と銘打って、大正浪漫三部作の『陽炎座』『夢二』とともにニュープリントでリバイバル上映されたのですが、この時のパンフレットのインタビューのなかで大楠道代は、この撮影の時のヘアメイクは彼女自身の提案で、サイレント時代の大女優ルイーズ・ブルックスをお手本にしたことや、あの独特なボブの髪型はじつはカツラだったこと、彼女が身につける着物もほとんどが彼女の自前のアンティークだった(衣装さんが用意した着物はどれも地味なものばかりで、真っ赤な長襦袢を指さして「もっと、こういう派手なのはないの!」と言ったけれど一枚もなかったので、自分が持っている着物を使った)ことなど、さまざまな興味深いエピソードを語っています。そして、着物姿の撮影の時は彼女も大谷直子も下着(パンティ)は身につけていなかったと打ち明けるのですが、この映画が持つけっして下品にはならない独特のエロスは、こんなところからも醸しだされていたのかもしれません。

じつは、このパンフレットの製作には私も少しだけ関わっていて、幸運にも鈴木清順監督と阪本順治監督の対談に同席することができたのですが、はじめてお目にかかった憧れの清順監督は、ジーンズにスニーカーという若々しい格好がよく似合う「ヘンなじいさま」で、「ひゃははは」と豪快に笑うお顔がとても印象的でした。

その少し後のリバイバル上映の初日、舞台挨拶をする清順監督の楽屋にパンフレットをつくった友人の編集者が百合の花束を持ってお祝いに駆けつけたところ、清順監督は百合の花のアレルギーなので、せっかくの花束を受け取ってもらえなかったという話を聞いて、私は、はた!と膝を打ちました。映画のなかの大楠道代が花の匂いで湿疹ができるという設定は、鈴木清順監督自身の体験でもあったのです。

私の郷里である山梨の方言に「ももっちい」という言葉があって、これは細かい産毛が生えた桃の表面に触ったときのように「むずがゆく、くすぐったい」という意味なのですが、私にとって、この『ツィゴイネルワイゼン』という作品は、若かった頃のいろんなことを思い出す、ちょっと「ももっちい」映画でもあるのです。

(網倉俊旨)

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