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花は、その中に女性と男性を共に宿しています。

雌蕊(めしべ)と雄蘂(おしべ)という生殖器を、あえて目立つようにさらけ出した花の存在形態、そしてその花をめでる私たちの姿は、画家のみならず倫理学者にも格好の素材を提供しそうな興味深い問題ですが、以下ではこれとは異なる視点から、花の性的なイメージについて私見を申し上げたいと思います。

日本を代表する花として、梅と桜を挙げることに、おおかた異論はございませんでしょう。奈良時代に花といえば梅を指し、平安時代には桜を指しました。私は、前者に男性的なイメージを、後者には女性的なイメージを抱いております。『万葉集』に代表される奈良時代の歌風が「ますらをぶり」(益荒男振り)と把握され、『古今和歌集』などの平安時代の和歌が「たをやめぶり」(手弱女振り)と評されるのは、私のイメージと親和的です。

梅は、まだ冬の寒さの去らない初春の野山に薫り高く咲きます。澄み渡った夜の暗闇。目にははっきり映らないが、香りによって梅の存在が知れる、というような歌も詠まれました。梅は、ごつごつした感じで、たたずまいも落ち着いております。死後、天神として祀られ、やがて学問の神ともなった菅原道真は、邸の庭の梅に、「東風(こち)ふかば、にほひおこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」(春になって東風が吹いたならば、風に乗せて香りを送っておくれ、梅の花よ。主人がいなくなったからといって、春になったのを忘れないでくれ――『古語林』533頁の訳を改訂)と歌いかけ、そして九州は大宰府に流されたといわれます。その後、庭の梅は彼を慕って大宰府の地へ飛来した、という飛び梅伝説もあります。道真に愛された梅には、理知的な男性の姿が重なります。

一方、春の霞がかった空の下に咲き誇る桜には、淡い、か弱さがあり、乱調的な旋律があります。それは男性の心を悩ましてきました。平安時代の歌人として名高い在原業平は、「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし」(この世にもし桜というものがなかったならば、春の人の心はのどかなものであろうに――『古語林』1367頁の訳を改訂)という歌を詠んでおります。また、江戸時代には、「咲いた桜に、なぜ駒つなぐ、駒が勇めば、花が散る」と謡われました。ここでは桜が女性に、駒が男性に擬されていると思われ、こうして奏でられるエロチックな副主題は、桜の情念的な魔力を伝えます。

さて、私たちが抱く桜のイメージは、以上で語りつくせたでしょうか。どうもしっくりこない、という方もいらっしゃることでしょう。現代における桜イメージの形成は、もう少し複雑な回路をたどるはずです。これには近代日本における桜イメージの軍事的再編が関係しています。すなわち、近代の桜は、軍隊や警察の象徴ともされ、「見事散りましょう、国のため」と軍歌に刻まれたように、天皇制国家のために潔く死ぬことを鼓舞するイデオロギーの中枢を構成しました。この点については、かつて中塚明氏も言及されております(同氏『近代日本と朝鮮』)。かくして桜には男性的なイメージも濃厚に付与されることとなり、桜は大日本帝国を代表する花として位置づけられ、現在に至るのです。

イデオロギーは、精神を呪縛し、自ら進んで支配に服従させるシステムを再生産します。近代日本では、人々の桜をめでる精神が、政治的な操作を経て、国家への動員のために利用されたのです。イデオロギーの内にある者は、それがイデオロギー(虚偽意識)であることを自覚困難です。桜を好むことと、政府の軍事動員に従うことという、別個の事柄が混同されてしまうわけですね。以上の桜の話は、歴史的展開の大雑把なスケッチに過ぎませんが、イデオロギーについて考えるきっかけともなればと存じます。

それでは、やや脱線してきたところで、梅雨の夜の季節はずれの話を、ひとまず終えさせて頂きます。

(2009年7月4日 青海史之介)
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